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『DBPro』の事 - テクニカルライターへの道

『DBPro』会議室のログを読んでいて発見した事がいくつかある。
その中のひとつで、自分でもオドロキだが、"桐"に見切りをつけた後で、ごく短期間とはいえ『DBPro』で社内システムを再構築しようとしていた時期があったのである。
これまでの記憶とは完全に異なっていた。つい最近会議室ログに目を通すまでは。
今思い返しても、どう考えてもそんな事はあり得ないのだが当時はそんな時期もあったらしい。
う~む、そうだったのだな。自分にとってもウソみたいな本当の話である。

DBPro_2.jpg

"Windows"に乗ったとはいえ『DBPro』は"桐"の亜流でしかないのであり、"桐"への関心を完全になくしていた自分は、会議室に関しても他のパワーユーザーとは一線を画した、ちょっと冷めたスタンスで参加していた。
当時の会議室ログを見返すと、『DBPro』の優位性を語る材料としてやたらと"レコードロック"という言葉が使われていた。当時の"桐"では最後までまともなネットワーク対応が実現していなかったためである。
『DBPro』は、レコードロックを実現していた。PC用DBソフトとしてけっこう画期的な出来事であった。
しかし自分としては、ネットワークに悩んでいたとはいえ、その事は特に重大な関心事ではなかった。

本能的に「それだけではない。自分が求めているのは本物のRDBMSなのだ。」と確信していたため。
"レコードロック"は、その中のひとつの要素に過ぎなかったのである。

なぜ『DBPro』に心が傾きかけたのか。ひとつにはニフティ会議室の存在である。
ソフトヴィジョンの会議室は「桐たんす」以上に居心地が良く、積極的に発言もしていた。それは、自分にとって「理想的な会議室」だったからだ。その理由は前回書いたのでここで重ねて書くことはしない。

そして、もうひとつは単行本の執筆者として名を連ねるきっかけになった事が何より大きい。
イヤでも『DBPro』について深く学ばねばならないのだが、"桐"の亜流に過ぎないのでその作業はただただ辛いだけだった。製品としての完成度の低さも、それに輪をかけてストレスを助長してくれた。
しかし、関わる時間が多くなるにつれ、会議室の効果もあって生みの親の「ソフトヴィジョン」社へのイメージの良さも手伝い、どうしても"愛着"というものが生まれてしまう。複雑な心境であった。
そんな心境の変化から、"社内システム再構築"のツールにしようとしたのだが、高度な要求レベルに対して『DBPro』はすぐに限界を露呈してくれたため、必要以上の試行錯誤をしなくて済んだのである。

技術評論社から出版された「一歩先を行く DBPro V.2 for Windows 100%活用法」という単行本は、その中で生み出された、一生忘れられない宝物である。自分が担当したのは主として"サンプルプログラム"。
共著とはいえ、自分が書いた本が書店に並んで世に出るのである。人生で始めて訪れた千載一遇の好機。
いやがうえにもモチベーション(気合)が高まり、それまで自分が"ゴミ本"と呼んで馬鹿にしていた入門書とは完全に一線を画した素晴らしいプログラムを送り出した、と今でも自負している。

実に440ページにもわたる大著であり、しかもマニュアル本等と比較しても圧倒的にスクリーンショット(画面写真)の量が少なく、ほとんどが解説文という良心的な書籍だった。著者チームは膨大なエネルギーを注ぎ込んだ。

そして、売れなかった。まったく売れなかった。もらった印税もあきれるほどに少なかった。
しかし、その事態は全員が予想していたので、誰もめげる事なく、視線は既に次を見据えていた。
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