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潮時

11月になって、愛息の元輝の空手道場通いを止めさせた。もう卒業すべきとの判断である。
小学1年生で入門し、約4年間続いたわけであるが、順調に黒帯を授与されたのを機に決意した。

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仲の良いライバルが在籍していた事もあり、当人は続けたい意向ではあったが強いものではなかった事もある。
何事にも"潮時"というものがあるが、その判断基準のひとつが当人の"熱意"であり、"向上心"である。
元輝にとっては空手といえども"遊び"の延長でしかなく、"武道"の精神を理解するには至らないのは明白であった。
すなわち、これ以上続けても、レベルアップの余地はほとんどないだろうというのが最大の理由。
他にもサッカークラブ活動があり、進級するに連れてその活動時間の頻度が増加して来ていた事に加え、遂に進学塾通いも始まったのである。ボーイスカウト活動とともに、空手道場通いも削減の対象とならざるを得なかった。

何しろ、自宅ではまったく自発的に練習しなかったのに、黒帯認定されたのは幸運ではある。
逆に云えばその程度の熱意でしかなかったので「黒帯をもらったら止める」というのがメドでもあった。
ま、入門して通えば誰でももらえるというものでない事は間違いないので、それなりの価値はあると思う。

ただし、道場ではトップクラスの実力だったらしいが、夜中に不審な物音がすると真っ先に逃げ出すような臆病な性格のため、防犯にはまったく役に立たないのであります。( ´ー`)

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BASICで学んだ事

努力の甲斐あって"X1"を購入する頃には、すでにコンピュータを使いこなすための基礎固めは終わっていた。

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多くの人達がコンピュータに大きな期待を持ちながら入り口で立ちすくんでいるのを横目に、すんなりとスタートを切れた少数派の中に運良くもぐりこめたのである。

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しかし、今から思い返しても本当に冴えていた。入り口も出口も、もう既に決まっていたのである。
自分はコンピュータに何を求めているのかという目標が明確だった。
ゲームやお絵かきやサウンド作り等更に云えばハードウェアとしてのコンピュータそのものにもにもまったく関心がなかった。コンピュータに期待していたのは「自分自身のスキルアップ」であった。
当時は"スキル"という言葉は一般的ではなかったのだが、単に"能力"や"技能"などではなく、もう少し深い意味を感じている。まぁ他に適当な言葉を今は思いつかないのでゴニョゴニョと・・・

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20代も終わりに近づきつつあり、自分には他人に誇れるような圧倒的な長所が何もない事に漠然とした危機感を抱いていた。この先まだまだ長い人生長い長い時間が待ち受けているとはいえ、今のままで良いのだろうか、いや、良いはずがないという、焦りにも似た感情である。当時の一般的な会社は終身雇用と年功序列が当たり前であり現代のような就職難などはなく、焦る必要もなかったので、それを"向上心"という事にしておこう。( ´ー`)

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"X1"を手に入れて、最初に手がけたのが"金銭出納帳"。要するに"小遣い帳"であった。もちろんその手段は"HU-BASIC"。BASICで実用的なソフトは作れないという事実を知りながら果敢にチャレンジを始めた。
やはり、それ以外の選択肢はなかったためである。とは言いつつ、ゲームマシンとしてもかなり楽しんだ事も事実。

"X1"は"クリーンコンピュータ"であり、電源を入れただけでは本当に何も出来なかった。"HU-BASIC"の収録されたカセットテープを装填し30秒程度待ってようやく準備完了である。
まぁ、最初からそんなもんだと分かっていたのでその儀式は特に苦にはならなかった。

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最初の頃は、簡単な計算をさせたりちょっとしたメッセージを表示させたりしただけでもけっこう感激したものであったが、そんなものは二三度やればすぐに飽きが来る。

ようやく自分のパソコンを手に入れて、とにかくやりたかった事は、データ入力と集計・分析であった。
毎夜BASICと格闘しつつ、何とかアプリケーションらしきものになるまで 3ヶ月くらいかかったと記憶している。
気がついた時には1,000行近いプログラムになっていた。非常に高額(142,800円)であったドットプリンタまで購入し、印字したプログラムは一生の宝ものになるはずであったが、哀れにも数年後にはゴミ箱行きとなった。

忍耐強く毎日の現金の出入りを入力し、日計を出力し、1ヶ月ごとの支出項目の分類集計も難なく実現した。
しかし、そこまでであった。膨大な時間と手間を費やしてプログラムを書き、面倒で単調なデータ入力も行い、その結果得られるものとの落差があまりにも大き過ぎる事を身をもって体験して、BASICを卒業した。
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BASIC

"PC-8001"のカタログを眼にしてから、"X1"を手にするまで約半年間は準備に費やした。
何の準備かというと、資金はいうまでもなく、まず第一に"キーボード"である。
当時の並の人間にとって、コンピュータとは"テレビとキーボード"がセットになったものであり、キーボードを自在に使いこなせないと何も出来ないのだという事くらいは認識してはいた。
とはいえ、キーボードにずらりと並んだ大小さまざまな形のキーを見ただけで怖気づいてしまうのであった。
ショップで展示品を前にしても、いったい何をどうすれば良いのかまるで分からず、触ってはみたいがちょっとキーを押しては見ても何事も起こらず、呆然と立ち尽くすのみ。当時は周囲にアドバイスをもらえるような人物もいなかった。
もちろん、客の中には、猛烈なスピードでキーを叩いては、しょーもないゲーム画面を動かして得意になっている者もいたが、その種の人達(大抵は学生風)にアドバイスを求める気にはなれなかったし。( ´ー`)

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こういう時は本に限る、というわけで大阪有数の大型書店「紀伊国屋」に通っては参考書を読み漁った。
当時の一般庶民としては、未知のものを調べるには大型書店が最大の情報源なのであった。
いや、それなら図書館ではないかというのは当然の発想なのだが、とにかく蔵書が古いため日進月歩のコンピュータのような最新のツールについてはまったくの無力、すなわち役に立たなかったのであった。
さて。紀伊國屋書店に何度も通い、いかにも学者が書いたようないたずらに難解な文章で埋め尽くされた参考書をたくさん流し読みするうちに、おぽろげに分かった事は、「とりあえずBASICを学べ」というものであった。
そして、何とか理解できそうな内容の参考書を買ったら、付録として巻末に実物大のキーボードが付いていた。
"実物大"すなわち紙に印刷されたキーボードであったが、これはありがたい付録であった。
BASICであれ何であれ、コンピュータに取り組むにはとにかくブラインドタッチ習得が必須なのである。
「正しいタイピングの仕方」という解説とともに紙のキーボードを四六時中持ち歩き、ヒマさえあれば仮想タイピングの練習をサルのように熱心に続けた。もちろんお題はBASICの簡単なサンプルプログラム。

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教材としたプログラム自体は画面に円や四角形を描いたり、ちょっとした繰り返し処理を加えるという程度のまったく取るに足りないものばかりであったが、いろいろと取り組んでいるうちに「自分の求めているものはBASICでは実現出来ないのだ」という重要な事実に気がつくことも出来た。
しかし、最大の目的はブラインドタッチであり、BASICではないのだと割り切り、熱心に練習していると、1ヶ月もしないうちにすらすらと(紙の上では)タイピングが出来るようになっていた。
コンピュータを習得する上でひとつの、というより最大の壁を超えられたような高揚感がふつふつと湧いていた。
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MZ-2000

1982年当時、一般庶民のイメージとしてSHARPは二流の家庭電化製品製品メーカーであった。
もちろんAQUOSなども影も形もなく、世の中に存在していなかった。

その会社の"コンピューター"など、フツーならまったく選択肢としてリストアップされるものではなかった。
しかし"X1"を初めて眼にした時「えぇっ!? シャープのコンピューター? そんなもんあかんやろ!!」とは思わなかった。

それは、すでに同社の少し画期的な製品を知っていたからである。
つまり、SHARPというメーカーは、庶民の思い込みとは違い、実はフツーではなかったのである。

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ほとんど測定機器のような雰囲気の"MZ-2000"。NECの"PC-8001"と人気を二分していた、とまでは行かなかったかもしれないが、けっこうマニアには評価が高かったように記憶している。
そのユニークな魅力は3つあった。
モニタ内蔵・カセットデータレコーダ・そして"クリーンコンピュータ"である。
モノクロ(グリーン)とはいえ、モニタ内蔵というのは非常に大きなアピールポイントであったが、当時すでに高価格とはいえカラーモニタが広まりつつあったので、一体型のデメリットである"応用が効かない"点が不安で、まるで購入意欲は沸かなかった。

毎日当たり前のようにオープンリールテープでコンピューターを起動させていた経験からすれば、カセットテープをその代用とするというのは別に大したアイデアでも何でもなかったが、何とか実用に足る性能を有していたのはSHARP製品だけだったのではないかと、おぼろげながら記憶している。

そして、この"MZ-2000"を発展させたのが"X1"とばかり思っていたのだが、実はまったく違う生い立ちだったという衝撃の事実(ってほどでもないが)を、かなり後で知る事になった。
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パソコンテレビX1

"PC-8001"に出会ってから、たしか約半年後。1982年の暮れ。
ふつふつと湧き上がるコンピューターへの想いを抑えきれず、ついに購入を決断した。
そう、当時は"決断"が必要なほどに高価なおもちゃなのであった。
有力候補であった"PC8001"の標準価格は実に 168,000円!!
しかも、それは本体だけの価格であり、"12インチ高解像度カラーディスプレイ"がこれまた 158,000円!!
家庭用テレビに接続する方法も用意されてはいたが、それは見るに堪えないレベル。( >д<)
そのうえ"シングルミニディスクユニット"が 168,000!!
そして、それで何が得られるかといえば、当時の自分の感覚からしてもやはり貧弱な表示性能であった。

何度も何度もショップに足を運び、デモ表示のゲーム画面を眺めつつ、はぁ~とため息をついていた。
「やっぱりいくら何でも50万円は高すぎる」

当時でもホビーとしてのオーディオ機器やカメラ等も50万円程度の高級品はざらに存在していた。
しかし、世の中のその種の製品は買えばすぐにその高性能を享受できるのに比べ、コンピューターときたら、一式ど~んと揃えたとしても、そのままではおもちゃにさえならない。まったく何も出来ないのだ。(;`ー´)
そんなわけで、うじうじと悩んでいる内に画期的な製品が出現。

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もう現物がないのでカタログでお茶を濁すしかないのだが、初めて買ったコンピュータは"パソコンテレビX1"。
268,000で全部入り。しかも、"PC-8001"システムよりもはるかに多機能で高性能。
極めつけは、当時不可能に近いとされていた"コンピューターディスプレイとテレビ受像機の合体"という夢の様な機能まで実現していた点。
※まぁ今から思えば、1つの箱に収まっていただけで、機能的な融合までは出来ていなかったのだが

X1 (1)
"X-1"は、多くのライバルに比して、何と言ってもデザインそのものが比較にならないほど洗練されていた。
カタログも事務機器然とした"PC-8001"等とはまるで異なり、夢と希望をイメージさせるものである。

X1 (2)
こんなにいろんなスゴイ事が出来ます。正に未来の"パソコン"

X1 (3)
もう我慢できなくなり、その頃は良く通っていた日本橋のショップで約20%OFFで購入!!
万が一挫折しても、テレビはそのまま使えるというメリットもあった。( ´ー`)
当時は14インチカラーテレビも安くはなかったので、そう考えて買った人も多いのではないかと勝手に推測している。
さぁ、本当にこれで"未来"を買えたのであろうか・・・

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PC-8001

野辺山での勤務を終えて大阪に戻り、ほどなくして転職した。
さまざまな事情があったのだが、その間の個人的な事柄についてブログに書くつもりはない。
ただ、尊敬していたA氏の忠告もあり、プログラマーを目指して退職したのではない事も間違いない。

すでに20代後半となっていたし、そもそも自分の経歴では名のある企業に入れるはずもなく、今でいう"プータロー"生活が半年ほど続いた後、ちょっとした偶然から「S無線」という小さな会社に採用される事になった。
当時、自分が持っていた基準は"たとえ隔週でも良いので週休二日制の会社"であった。
これは絶対に妥協するつもりがなかった。そのため、候補選びが難航していたのである。
社会人となってから、週一度の日曜日さえ保証されない日々を送って来ていたので、当時急速に普及していた週休二日制は何よりも大きな魅力なのであった。
「現時点で週休二日制が実現出来ていない会社は将来に渡っても変わらないだろう」という認識は正しかったと思う。

さて、ある日の昼下がり。首尾良く入社出来た小さな(しつこいか・・・)会社である"S無線"の社内でふとみかけた一枚のカタログに眼が釘付けになった。

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「コンピューターや・・・」
当時の(たぶん今でも)社長であったMさんに「これ、ウチの仕事と関係あるんですか ?」と聞いてみたら「いや、別に関係ない。取引先の店に頼まれて置いてあるだけや。」とニベもない返答であった。
「これ、もらって帰っていいですか」「ああ、いいよ。」

その日から夜な夜な穴のあくほど、ただのA4サイズ1枚に過ぎないカタログとにらめっこする日が続いた。
コンピューターへの漠然とした憧れが、ゆっくりと確実に再び押し寄せてきたのである。
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